沖縄国際大学 学術大会 発表 —〈金剛山の絵〉(申璋湜) (2011)
要約
申璋湜作家が沖縄国際大学の学術大会で発表した〈金剛山の絵〉の資料。発表本文は6つのセクション — 「1. 金剛山の絵の伝統」「2. 分断と金剛山」「3. 再び訪れた金剛山」「4. 観念的な金剛山の絵」「5. 写実的な金剛山の絵」「6. 金剛山の絵の展望」 — で構成され、1993~2007年の作家の金剛山作品のシーケンスが学術的な順序で続く。一部の作品には作家本人のコメントと、美術評論家 カン・テソンの評が引用された。
- 出典
- 作家ブログ
- Author
- 申璋湜
本文
〈金剛山の絵〉
申璋湜 · 作家ブログ · 2011-05-25
93年から描いてきて、もう20年を超えただろうか。 金剛山は空間でありながら、今は時間として感じられる。 20年という時間の金剛山。
金剛は空間としてそこにあるが、私と出会った20年の時間とともにある。 365日、12ヶ月という私の時間とともに、金剛はあった。 そして、その美しさを留めようとした私の絵の中にも、ともにある。 金剛十二景は、この時間と空間の中で生まれた小さな結果である。 私とともにある時間、だからこそ十二景なのだ。
春夏秋冬、そして地球と月の十二度の出会いが金剛の美しさを変えてゆき、 私はそれを留めた絵を描きたかった。 月を基準にその変化の時間をともにした記憶と、 これから金剛と出会う時空の美しさが、私の絵と再び出会うことを願いながら。
金剛山の絵
申璋湜(国民大学校教授、画家)
1. 金剛山の絵の伝統
金剛山の絵は、高麗のノ・ヨンの仏画〈地蔵菩薩図〉から、謙齋・鄭敾の〈金剛全図〉、金弘道の画帖だけでなく、多くの民画、そして日帝時代に純宗の命を受けて金剛山のスケッチ旅行の後に描いた海岡・金圭鎮の〈金剛山図〉〈叢石亭図〉、小亭・卞寛植先生の〈三仙岩〉など、その数を数えきれぬほど多かった。特に金剛山の絵は、謙齋・鄭敾から、我が山河の美しさを実景として写生し出しながら我々の美学が立てられた、我々の絵画史の聖所なのである。我々のものを探し出し、我々の時代の我々の絵への霊感は、この地で探すべきではないだろうか。
2. 分断と金剛山
ところで分断以後には、南側の作家のうち金剛山を描いた画家がいないので、想像と資料に基づくとしても、金剛山の絵はこの時点で新たに試みられるのがよいのではないかという思いから始めて、93年の個展から98年まで五度の個展を金剛山という主題で発表してきた。実は私は、88年のソウルオリンピック開・閉会式で美術助監督として働いたことが契機となり、これまで我々の情緒を具体化するために民俗的な素材に隠れた造形言語に関心を持ち、青紗提灯、太鼓、銅鑼、旗、景福宮などの素材を「アリラン」というテーマで作品活動をしてきた。その後、我が山河のなかに入っている生動感と生命力を、鶏頭、野草、松、北漢山などを素材として絵で表現していたが、どうせなら我々の山のなかでも我々の絵画の聖所である金剛山を描いてみようと単純に思ったのが、私の金剛山の絵の出発だった。金剛山の絵画的な脈絡だけでなく、その文化政治的な重みに照らしてみれば、冷厳な分断の現実と直面したこの時代の画家が描き出した「金剛山」は、もう一つの統一の物語である。
3. 再び訪れることになった金剛山
いまや幾度も金剛山に出会うと、その生動感と神明が私の絵にも染み込まないだろうか。まだ叢石亭、新金剛など直接見ていない場所も多いが、我が民族の持つ神明と生命力が、いまや金剛山の絵のなかに可能ではないだろうか。将来には、我が民族の分断状況が克服されて、金剛山が民族の象徴として生まれ変わる時が来ないだろうか。その時には心ゆくまで見るだろう。そして、こうした神明と生命力が私の絵に少しでも表現されればという願いである。
4. 観念的な金剛山の絵
1993–1998 — 金剛山に行かずに金剛山の絵を描くので、心残りな点が一つや二つではなかった。しかし、いつか行けるのではないかという希望は、その絵から消すことができなかった。ずっと前に始まったこの仕事は、絵画的価値としての金剛山の絵についての研究を伴うものだった。当時の絵は、観念的な山水だといっても差し支えないほど、実体と形象の間の関連性が希薄だったので、周囲の訝しげな視線を受けた。こうした点を超えようとする努力は、金剛山の古い絵についての研究や写真資料の収集などとして現れたが、現場を体験していない風景画とは、どうしても胸のなかの絵ではなく頭のなかの絵である可能性が高かった。1996年の個展の図録に載せた、煙草をくわえて遠い山を眺める私の白黒写真は、観念山水と真景山水の間の明確な分かれ道に立っている自らの位置を、淡々と見せている。分断状況を見せる休戦ラインの鉄柵の前に立っている一人の画家の姿は、まるで早晩あの鉄柵線を越えて金剛山へ行くことを念願し、あるいは予感したかのような雰囲気を込めている。
5. 写実的な金剛山の絵
私は金剛山を一つの象徴として接近し、その実体に出会った。山を描くが、山をそのまま移し描くいわゆる再現山水の仕事の次元を超えることが、私の最大の課題かもしれない。しかし私は、その枠を抜け出して、金剛山の実体を読み取ることへと進もうとした。金剛山訪問以後の金剛山の絵は、いろいろな面でそれ以前と異なる。まず、観念山水を真景山水へと転換できるようになったという点である。最近の仕事は、直に金剛山を訪ねて写生をし、写真を残してきた結果物をもとに制作した金剛山の真景の仕事なのである。ここでいう「観念から真景への転換」は、「実景と絵の間の合一点」を見出す過程である。金剛山を媒介に、生動する自然と人を語ること、さらには分断状況をはじめとする現実を具体的に盛り込む当代性と現場性の獲得の過程は、私の絵が手放すことのできない人並み外れた可能性である。これは、象徴と実体の合一を通して、生と芸術を貫く真正性を獲得する仕事である。
6. 金剛山の絵の展望
金剛山は私の金剛山であり、我が民族の金剛山である。私はこんな希望を抱いてみる。次には、南の作家だけでなく北の作家たちも参加して、一緒に金剛山で絵を描き、我々の美術を討論し、ソウルと平壌で発表すれば、我々の象徴をいっそう宝のようにするのではないか。民族共通の情緒で出会うことが可能ではないか。人のいない空っぽの山に出会うのではなく、山とそこの人々とともに出会うとき、喜びはいっそう大きいだろう。
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