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テキスト 評論 2018-08-29

〈「今、ここ」の金剛山の十二景を描く〉 — 崔泰晩評論 (2018)

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Exhibition
[展覧会ポスター] 〈懐かしの金剛十二景〉 ポスター
〈懐かしの金剛十二景〉
Dates
2018-09-03 — 2018-09-28
Venue
クムサンギャラリー(会賢洞、ソウル)

要約

申璋湜作品展〈懐かしい金剛十二景(金剛十二景)〉(2018-09、クムサンギャラリー)の評論として書かれた美術評論家 崔泰晩の批評文。金剛山を四季のあいだで分けて十二幅に描いた作家の意図、武夷九曲・瀟湘八景など伝統的な名勝画の系譜のなかでの位置、青みがかった光(瑞気)を通した時間の結を分析する。韓国語原文と英語訳が併せて収められている。

Info
出典
作家ブログ
Author
崔泰晩(美術評論家)

本文

〈「今、ここ」の金剛山の十二景を描く〉

崔泰晩(美術評論家) · 作家ブログ · 2018-08-29

「今、ここ」の金剛山の十二景を描く。

1998年11月18日、金剛山観光船が出港し、南北分断以後50余年ぶりに、外金剛地域に限られはしたが、南側の住民も金剛山の地を踏むことができた。金剛山観光は南北交流の糸口を開く出来事であり、2007年6月からは内金剛の一部地域まで開放されたが、わずか一年後の2008年7月から観光が全面中断され、金剛山は韓国人が好む歌曲のように「懐かしの金剛山」となってしまった。季節ごとに異なる姿を見せるため、緑陰の生い茂る夏には蓬萊、峰と谷を紅葉が覆う秋には楓嶽、木の葉が落ちて岩石が露わになる冬には皆骨という詩的な名で呼ばれるのが金剛山である。それゆえすでに高麗時代から、中国へ送る贈り物として金剛山を描いた絵が重要な位置を占め、朝鮮時代には多くの画家が金剛山を踏査してその美しい姿を表現した。さらには、朝鮮後期に真景山水の画風を継承した崔北が、金剛山を遊覧していて九龍淵で「天下の名士・崔北が天下の名山で死ぬのが当然だ」といって淵のなかへ飛び込もうとしたというから、金剛山こそ、今も昔も、生涯に一度はぜひ訪れたい名勝地であることは間違いない。

申璋湜は金剛山が開かれる前から金剛山を描いてきており、観光が始まるやいなや、東海港から長箭港へ初めて出港した現代金剛号に乗って金剛山へ行った。その後、彼はまるで神がかったかのように数えきれぬほど金剛山を訪ね、そのたびにいっそう心躍らせて、金剛山の美しい風景を画幅に収めてきた。いわば金剛山が彼の仕事に動機を与え、彼に仕事の理由を探させ急き立てたのである。実景に忠実でありながら、単に風景を再現するにとどまらず、自らならではの独特の方法で金剛山の肌と内なる肉を顕している彼の作品は、金剛山へ向けた畏敬の念がなければ不可能だっただろう。

これまで多くの個展を通して、自らが直に見て感じた金剛山を描いてきた申璋湜が、今回は金剛十二景を主題に展示を開く。自らの住んでいた福建省の武夷山で性理学(朱子学)を打ち立てた朱熹は、武夷山の九つの谷の美しさを表現した〈武夷九曲歌〉を残したが、後に多くの画家がこの詩をもとに数々の武夷九曲図を描いた。また、揚子江中流にある洞庭湖という大きな湖をなす水流である瀟水と湘水の周辺の美しい山水を描いた瀟湘八景図もまた、名勝を主題かつ素材として採択したもので、いずれもそれぞれ異なる絶景を九幅あるいは八幅で描いたとすれば、春夏秋冬の風景を描いた四季図の伝統もまた、その歴史が長い。広く深く、数多くの秘境を持つ山ではあるが、申璋湜が金剛山という一つの対象を十二の月に分けて描いたのだから、空間に加えて作品のなかに時間までも込めようとしたことがわかる。

それゆえ彼の金剛十二景は、まるで十二の詩を吟ずるように順々に味わうとき、その風致が倍加する。あるいは節季ごとにまとめて鑑賞することもでき、作品を一つの有機体と見て時間旅行をすることもできる。たとえば、前景の松をシルエットで処理し、中景の岩山は忠実に写生しつつ遠景を再び青色で処理した〈玉流洞の光〉、霧が立ちこめる水晶峰を背景に思うさま咲き乱れる花を描いた〈温井里の春〉、緑陰の深まりゆく〈水晶峰の光〉は、光を通して金剛山の生動する春の気を感じさせる。続いて、いままさに瑞々しい草木に囲まれながら成熟していく自然の姿を顕す〈万瀑洞の光〉、雨に濡れて自らの姿を隠している七月の万物相、灼熱の太陽の下に屹立したまま波を迎える〈海金剛の夏〉に至れば、蓬萊山の成熟美を鑑賞したのと変わらない。さらに、錦繡江山という言葉も色あせぬ九月の白頭大幹、華やかに衣替えした三仙岩、少しずつ冬支度をしながら奇岩怪石を顕す集仙峰は、美しさの絶頂に至った楓嶽山のなかへ入り込んだ感を受けることができる。

そしてついに、沈黙の時を迎えている毘盧峰で山河の悠揚さにすっかり謙虚になり、天に咲いた花のようだとして天華台と呼ばれる峰に覆われた雪と山並みを青い光で描いた〈天華台の光〉から、いままさに生命の芽を吹き出す草木に囲まれた万物相に至るのである。この時間旅行を貫流するのが金剛山の光であり、申璋湜の作品においてその光は青みがかった色調で現れる。それは彼の作品を巻き込んでいる瑞気であり、作品に生命を与える原動力である。その光に再び浸るためにも、金剛山は再び開かれねばならないだろう。申璋湜の金剛十二景は、我々に金剛山が「今、ここに」あることを気づかせてくれるため、現在形で我々の前にある。

崔泰晩/美術評論家

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